http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/1405131128/quackwatch-20
4人の心理学教授が世の中に広まっている心理学の神話について偽りであることを説明した本。
取り上げられている誤解は例えば、催眠術で忘れていた記憶が取り戻せる、嘘検出器で正確に嘘がわかる、書いた文字で性格がわかる、怒りは抑えるより他人にぶつけた方がよい、モーツアルトを聞かせると赤ちゃんが賢くなる、など。
予想以上のおもしろさで、寝不足気味になるほど先に先にと読み進めることができた。予想していた恨み辛みは一切ない。じつは一カ所だけあったと記憶している。少々変わったところがある西村検事(佐藤氏の取り調べを行った検事)が上司に評価されていることをうらやんでいる場面だ。自分も外務省で理解ある上司や同僚に囲まれていればもっと仕事ができただろうといったようなことを述べている。
自分を取り調べした西村検事に対しても特に恨みなんてものはなかったようで、自分も含めて国策捜査という巨大なゲームの中での一人の役者にすぎないと割り切っているようだ。敵だけれども尊敬しているとさえ書いているのが印象的だ。
ムネオハウスがなぜあんなにぼろい掘っ立て小屋だったのか、という疑問も解けた。それ以上に鈴木宗男という議員をよく知ることができたのもよかった。失礼ながら外見ではそれほど立派な政治家には見えないのだけど、佐藤氏がここまで惚れ込むだけの政治家の力量があったのだろう。
うちの奥さまが持ち出したのは「考えていることを文章に変換する手間」ということだった。たとえば、リンゴがあるとする。王林でいい。でいいってなんだ。俺がリンゴを病的に好きで、リンゴのどこがおいしいかを文章にするとする。シャキッとした歯ごたえと甘酸っぱさ、そして噛むにしたがいほどよく広がる自然な甘さが好きだとして。
「じゃあ友だちにしゃべるようにそのまま書きゃいいじゃん」
俺は例のごとく言う。つまり「リンゴちょううまい。シャキッとしててまじうまい。甘酸っぱくてうまい。噛むと甘い。リンゴ最高。死ぬ。むしろリンゴ食うために生きる。やっぱり死ぬぅぅぅン」とか書く。
「あんたみたいに脳と指が直結してどーぶつみたいに文章書く人間と一緒にすんな。だからあんたの文章はなにいってんだかわかんねーんだ」
叱られた。
うちの奥さまが言うには、こういうことらしい。
しゃべるっていうのは、原則的には、口に出た瞬間には、すでにその場にあわせたかたちで最適化されている。相手がいて、その相手がなにを好きであるか、自分についてどれだけの情報を持っているか、共有されている情報はなにか。そうしたものが「あらかじめ」考慮されたかたちでしか出てこない。だからそれをそのままに文章にできる人はあまりいない。相手が存在しないのだし、自分が書いた文章に不足しているもの、説明が過剰である部分について意識しだしてしまったらそうそう書けるものではない。
だから「会話するようにして書け」っていうのは無意味だ、ということになるらしい。
カードゲームから株投資まで:達人が教える「迅速で正確な決断の秘訣」 | WIRED VISION
まじでこれは優れた信念だとおもう。
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